雑な感想 星を追う子ども

星を追う子ども
一度見ただけでは、まだ理解らしく噛み砕けていないかもしれないが興奮冷めやらぬうちに書いておく


この作品における星とは何だろうか
よく人は言うだろう
亡くなった人は星になり私たちを見守ってくれると、それは「らしい方便」なのかもしれない
視覚的に捉えられて、尚且つ私達の身近な存在 美しく決して簡単には消えることのない星々の光が優しく私達を照らしてくれる
敢えて舞台を田舎街に据えたのはそんな星の存在をより近く見せたかったのかもしれない
比較して地下の世界はどうだろうか、神秘と地上では為しえない奇跡、神々の叡知を持ってしてでも何処かその世界は儚い
その世界には雨も風も美しい景色があれど星がなかった

星のない世界が如何に孤独か、それは作中の人物が強調してくれる
森崎先生の星のない夜空の下では人間は如何に孤独か教えられるという台詞とシンの生と死の門を潜り抜けた直後の感慨深げな星だ、という台詞だ

この物語の登場人物はまさに星を追う子供である
手の届かない星に焦がれ苦しむ、それは生と死の絶対的な隔たりに憂い苦しむ姿と似ているのかもしれない
リサという星、シュンという星、それだけでなくとも作中の人物は何かを喪っている
それでも生き続ける人もいれば、立ち止まっている人もいるだろう
何度も描かれる生と死の在り方と二つの世界の相違が色濃く出ていても本質的なものは何も変わらない
生きている者の方が大切だと言える人がどれくらいいるだろうか
生と死は巡りこの世界の一部なのだから、という台詞がこの作品の中のキーワードとなっているが、それをイマイチ飲み込めていない子どもがいる
それが、シンとアスナと森崎先生だろう
森崎先生とアスナは取り戻したい存在がいるから地下に潜った
しかしシンはなんとかシュンの死を仕方のないものと受け入れようとしている
だが、それは押し込めるような痛々しいやり方だ

個人的に、私が一番興味深いというか、誰を通してこの作品を楽しんでいたかと言えば森崎先生だと思う
だから森崎先生を主に作品について漠然と思ったことを書きなぐっていく
アスナとシン、そしてシュンとのやり取りは血の通った温かさとか可愛らしさがあって、危ういながらも人としての情緒的なものが感じられた
寂しかったと自力で自覚するアスナも、シュンの死を受け入れてしまったことで泣いてしまったシンも互いに寄り添い共に喪った存在の大きさを埋め合わせるようだった
でも、森崎先生は違う
彼の荒唐無稽な願いは到底人には受け入れられないものだし、そんな話を打ち明けられたら貴方疲れてるのよ・・・とかゆうまである
だから、もしも人々が彼に声をかけるなら「もう、子どもじゃないんだから割りきれよ」と言うんじゃないかなと思った
少なくとも、森崎先生は繊細な現役中学生のアスナよりかは年齢も上だし、よっぽど広い世界で物事を見ることが出来る
彼女よりもやれることが多いが、その実最後まで、その荒唐無稽な願いを諦めてさよならすることが出来なかった
そんな先生がアスナの僅かな感情の機敏や、痛みにちゃっかり気づいてたりする
でもそのまま特に言及はしない、分かち合おうとか受け入れようとかアドバイスをしたりはしない
大人は子どもの導き手であるという、ある種のお約束を清々しいくらいに打ち砕いていく
だって、アドバイスをしたら自分も揺らいでしまうから、だって、アスナに深く踏み込めば後悔してこなかった自分の道すら否定してしまうような予感がするから
そんな不器用で純粋でどうしようもない大人になりきれない森崎先生は、まさに分かってるけど俺が欲しい答えも結果もこの世の常識では補完出来ないし、そんなちゃちな慰めじゃねーんだよ!という静かな怒りのようなものが透けて見えた
そしてそれを見事に成し遂げようとしちゃうとこが悲劇的だよねーとも
それほど先生の十年越しの想いは根が深い
自分に蓋をしているだけで本当は理性的にもなれない、口ではクールを装ってみても大人として振る舞っていても感性はアスナ達と変わらない
そんなちぐはぐなところが、先生も子どもの一人なんだなぁと思いつつ面倒だなとも思う
そしてその面倒くささには非常に覚えがあります
それに気づけたのは、私も皆と同じく最後の最後だったんだけど
旅を通して思春期の子どもみたいな初々しさとか幼さを露呈させる森崎先生が恥ずかしくて、それでもええんやでと思わず肯定したくなるような 
それでもってその恥ずかしさは、自分の恥ずかしさでもあるのだろう
いざ、自分がそんなこと言い出したら全力で否定したくなるくせに目の前でそんなことされると照れる
突然だが、アスナちゃんの魅力はその人のありのままの姿を何も言わずに受け入れようとする母性的な部分だなーと思った
というか、彼女の素直さの前には自分の隠していた部分が嫌でも引きずりだされる感、そりゃ怖いですよね


終盤にそれぞれの子ども達は、はじめて涙を見せる
それまで異形の怪物に襲われても踏ん張り、立ち向かった彼らは、自分の中に巣食う悲しみと寂しさには気づけなかった
いや、分かっていても受け入れられなかった
時間が傷を癒してくれるわけではない、傷ついて抉り出して追い詰められて捻り出した答えこそが本音なのだろう
その本音を捻り出す為に子ども達はあらゆるものを喪った
居場所、体の一部、永遠の別れ
その代償は時として残酷なまでに瞬く間もなく消えていく
森崎先生は、結局リサを呼び戻すことは叶わなかった
地上には視覚にとらえられる神は存在しない、概念として畏怖すべき抽象的な対象として信仰されてはいるものの我々に何かを与えてくれるわけではない
しかし地下の国はそれを代償さえ払えば叶えてしまう
地上の世界で森崎先生は誰に赦しを乞えば良かったのか
愛すべき人は自分の知らない間に過去になってしまった、絶対に信じていた存在が消えてしまうことはどれだけ恐ろしいか
そして、その寂しさを何処かで認められない

一方で彼ら以外の人物は生と死の交わりを意識的であれ無意識的であれ受け入れている
だけど、アスナ達が欲しいのはそんなものではないはず、と思いながら旅を続けた
それぞれが届かないものに手を伸ばしている、それが悪あがきだとしても無意味かもしれなくても
だって救われたかったし
本当はみんな救われているんだけど気づいてないんですよね、シュン君からの祝福とリサさんのお願い、この二つは道しるべのはずなんだけど
どこまでも噛み合わずに、ひたすら突き進むだけの物語にやきもきする人も多かったのではないか
本当に最後になって彼らは地下であろうと地上であろうと生と死の交わりの中で生きていかねばならない、その定めからは逃れられない、逃れるわけにはいかないと気づくのだか


新海監督も言っていたが、この作品は明確な正しさや悪が決まっていない
ただ漠然と分からなくてもそれぞれが駆け抜けて、例えそれが倫理的に道徳的に間違っているような行いだったとしてもやり遂げる
ここで私はこの作品は観客が必ずしもすっきり出来る作品ではないんだなと実感させられた
どうにも作中のキャラは感情移入がしにくいと感じてしまった、この違和感は最初は大味な演出とか心理描写が唐突なのかなとか適当なことを考えていたが、よくよく考えれば自分に覚えのある大人になりきれないなりの迷走劇を目にして逃げたくなるのは仕方ないと思えてきた
なにこの作品の包容力、仕方ないしか言えない
ボキャブラリーが貧弱貧弱とか言わない
伏線はきちんと貼り巡らされ、世界観も風景も美しいのに居心地が悪い
それに加えて、何処かで見たような場面やキャラクターの構造に途中で何なのだこの作品は、わざわざこのような演出にする意図は何だと思ってしまうのではないか
分かりやすすぎる演出も壮大すぎる物語に、今回の作品はあまりにも異様ではないかと思ってしまうのではないだろうか

誰もかれもが「分からない」と言う、それでも走り続ける
別にキャラの内面性が掴みにくいとは思わない、共感も出来ないとも思わない
寧ろ、痛いほどの親しみすら感じているのだから
キャラクターが自分の意思で動いているようで、新海監督の描きたいものと意図が全面的に押し出され落としこまれた作品に観客は無意識的に嫌悪感か異形さを感じてしまうのかもしれない
少なくとも私は観客の気持ちは敢えて考慮しようとしなかったのかと思った
多分、わざわざ考慮して分かりやすくしたら作品が破綻するから
観客の溜飲がさがるような展開にしようと思えば出来るけど、敢えてやらなかったよというような声が聞こえてきた気がした
例えば先生が自力でなんやかんやでアスナを犠牲にしようとするのは止めてリサのことを諦めるとか
アスナちゃんの物分かりの良さは先生にすれば都合の良いものでしかない、あまりに都合が良い
そこらへんが違和感になるかもしれない、母性と年相応の幼さが混在しているあたりが
アスナちゃんの魅力はリサさんの魅力でもあるんだろうなーとか、あと印象に残った場面は最後のシュン君とアスナちゃんの対話かな
壊れたはずのオルゴールの存在に二週目になってやっと気づいたなぁ


これは主観的な見解だが、観客は共感といかに作中の人物とシンクロすることで仮想の世界の現実を打破していく登場人物と同じカタルシスを味わう為、あるいは監督の密かなメッセージやどういう思いを場面や作品に込めたか自らの知識と頭脳で考察するか、大きく二つに分けて楽しむものだと思っている
だが、この作品は前述の二つどちらにも微妙に属していないと思う
まずは感情移入の面では彼らは最後の最後まで自分の気持ちや考えを話したがらないから、なんとなく寂しいのだろうということは分かっていても素直に同化するまでに至らないのではないか
何故、彼女があのような回想をしたのだろう、森崎先生はあの場面でどのように思ったのか
彼らは口にしない、漠然と提示されるが激しい共感には繋がらない
保険として言うなら、まぁ、こればかりは個人の感じ方によりけりだが
そして二つ目は、答えは考えるまでもなくドーンと分かりやすく出ているからだ
彼らはある意味ブレないし、新海監督の既知感のある演出は好きだから、敢えてやっているんだろうなと分かりやすい

例にあげるなら、地下の国の集落を後にするシンはアシタカのようだし、飛行石かブルーウォーターみたいな未知の結晶が出てきたかと思えばナウシカやハク様と言いたくなるようなキャスティング
でも、これが新海監督のための作品となるとしっくりくる
そしてそれを踏まえて見ると、その強烈なまでのオマージュが自然と受け入れられていく
私は作中のどのキャラともぶつぎりの共感を抱えながら、自分の中にも彼らの存在を見いだしてしまった
感情移入がしにくいと感じた癖に彼らがまるで自分の一部のようだ
分からないなりに駆け抜ける彼らにまるで分からなくても良いと肯定してもらえているような気がした
私だって別れは怖いし悲しい
頭では受け入れるものだと分かっていても感情はついていかない
私は森崎先生でもあるし、アスナでもあるし、シンなのだろう
そのしっちゃかめっちゃかな視点の目まぐるしい切り替えに振り回されて、正直苦しくて仕方がなったが

森崎先生は頭だって良いし合理的に物事が考えられるくせに、最後の最後まで受け入れられなかった
本当に最後になってからようやくアスナの抱擁に手を回した、あの瞬間にやっと彼は受け入れたのだと思えた
そして同時にそこまでいくまでに時間がかかるものだし、割りきるのに苦労するのだな、とも
でもそれで良いと言ってもらえた気がした、ヴィマーナから変化した神の台詞は救いの言葉だろう
あそこではじめて森崎先生は救われた、結果的に赦しを乞う形になったのだなと

そして、それは私も救われたような気がした
まだうまく形にはならないが、その呪いと祝福を受け入れる為の機会をお膳立てしてもらったと思えるのだ
そして、それは新海監督も同じだと思う
好きなものとなぞりたかった視点の果てにだした、あの神様の言葉が私たちへの祝福ではないかと思いました
推敲はあとでやります()